・・・・・・。
・・・。
『ラブソフト』から不動を連れ去って数日。
オレたちは奇妙な共同生活を送っていた。
会話らしい会話もあまりせず、お互いに干渉しない。
四六時中、同じ部屋に居ると言うのに顔を合わせるのは食事の時だけ。
それ以外は、各々自由なスタイルを取っていた。
手錠で両手を拘束された不動は、オレが与えたノートパソコンに一日中向き合い、休む間もなくキーボードを叩いている。
一度だけ、何をしているのか訊ねた事があった。
「簡単なゲームソフトをちょっとね・・・」
不動は曖昧に回答を濁して笑うだけで、具体的に何を作っているのかは言葉にしない。
オレは不審に思いながらも、不動の好きなようにさせていた。
もともと、不動に与えたノートパソコンはカイザーと暮らし始める前に使っていたものだ。
『仕事』に関するデータは入れていない。
オレは、一心不乱にキーボードを叩き続ける不動に茶を淹れた。
テーブルにオレと不動の分の湯呑みを置き、茶を注ぐ。
不動に向かい合う形で、テーブルを挟んでオレは座った。
湯呑みを不動の前に置く。
それに気付いた不動は視線を一度上げたが、すぐに画面に戻した。
不動は手錠で拘束された手首が擦れて赤くなっても、頓着せずにキーボードを叩く。
何をそんなに熱中しているのか分からない。
オレは頬杖ついて、不動を観察した。
共に生活していくうちに気付いた。
不動は、意外に度胸が据わっている。
拉致も同然に連れてこられ、手錠で両手を拘束され・・・。
なのに、それに対して特に反抗する訳じゃない。
それどころか、パソコンを貸せと言ってくるくらいだ。
デイビットが言っていた『不動遊星』は傲慢で不遜な男だと言っていた。
地位と名声・・・。
その二つを欲しがっていると・・・。
でも、そんな風にオレには見えない。
それよりも・・・。
右手に思わず力が篭る。
忘れかけていた怒りが、腹の底からとぐろを巻いて牙をむいた。
デイビット・ラブ・・・。
オレを裏切った・・・男。
オレ以外の人間に『殺し』を依頼していた。
「あの・・・、アンタ・・・」
不動は飽きもせず見つめ続けるオレへ居心地が悪そうに話し掛けてきた。
普段の不動の言葉使いは意外にも普通の青年と同じだ。
出会った当初の怯えた口調が嘘のように思える。
「ずっと俺を見てるが、何か用か?何か、言いたい事でもあるのか?」
いつの間にか、キーボードの音は止んでいた。
ノートパソコンを脇に置くと不動はオレを見つめてくる。
真っ直ぐな瞳は、一点の曇りもない。
本当に、コイツが・・・デイビットの言うような『悪』なのか?
思考が迷路のように同じ場所を巡る。
「何か、答えてくれ。不安になってしまう」
困ったように不動はテーブルに乗りかかり、オレに顔を近づけてきた。
「何で、喋らないんだ?俺たちはここ何日か一緒にいるがほとんど話していない・・・。何故だ?」
両手を手錠で拘束されていると言うのに、それを気にせず、普通に振舞う。
デイビットの言うような『悪』には見えない。
だが、不動には奥底に計り知れない『何か』をもっているように感じられてならなかった。
「はぁ・・・。ダンマリか。本当に物静かな女だな、アンタ」
不動は湯呑みを手の中で遊ばせて、ゆっくりと茶を飲み込んだ。
冷たくなった茶に顔をしかめながら、不動は最後の一滴まで啜る。
しばらくお互いに見つめ合ったまま、沈黙が続いた。
身動き一つ出来ない異様な雰囲気が部屋に漂う。
やがて、しびれを切らしたのか不動が先に口を開いた。
「今、アンタの考えている事を当ててやろうか」
何もかもお見通しと言わんばかりに不動がオレを見つめる。
「大方アレだろう?アンタはアイツに腹を立てている。何故なら、アンタ以外の人間がオレを狙っているのが分かったから」
不動の言葉にオレは頷いた。
きっと『アイツ』と言うのはデイビットの事だろう。
「信頼されていなかった、悔しい・・・だから殺す筈だった俺を助けた。・・・それでいて、俺の扱いに今、困っている。・・・違うか?」
今度は、不動の言葉に頷けなかった。
確かにオレはデイビットに不動を殺すように依頼を受けた。
それは確かだ。
だが、『ラブソフト』で会った不動は・・・デイビットの言う凶悪なプログラマーには見えなかった。
本当にコイツは『悪』なのか?
不動を撃つかどうか迷った瞬間・・・嘲笑うかのように突然襲ってきた凶弾。
デイビットの言葉を信じて、仕事を受けたって言うのに・・・裏切られた。
それが、悔しくて悲しい・・・。
「そんな辛そうな顔をしないでくれ。何か、オレがいじめている気分になる」
オレの顔を見て不動が困ったように笑い、手を伸ばしてきた。
暖かい腕と共に耳元で鎖の音が聞こえる。
気が付くと、テーブルを挟んで不動に抱き締められていた。
久しぶりに触れた人のぬくもりに胸が痛くなる。
不動の服に指を掛け、自分からしがみ付いた。
「どうしたんだ、アンタ。いきなり弱くなったな」
不動の心臓の音が間近に聞こえる。
細い指が、ゆっくりとオレの髪を優しく撫でた。
唐突に込み上げてきた胸を締め付ける痛み。
目を閉じると浮かんでくるのは、たった一人の笑顔で・・・。
もう二度と見る事は叶わない。
「・・・泣きたいのなら、泣けばいい。ずっと我慢してきたんだろう?」
全てを知っているかのような不動の言葉。
何も知らない筈の不動の言葉が、そっと心の中に入ってくる。
涙を零す訳にはいかない・・・。
オレと不動は殺し屋と・・・ターゲットだ。
弱みを見せるなんて・・・、出来ない。
そう思うのに、涙が浮かんでくる。
止めようとしても、溢れる涙が頬を濡らしていく。
「何で黙ったまま泣くんだ。悲しいのなら、声を出して泣け。・・・辛いんだろう?だったら、声を出すんだ」
耳元で困ったような不動の声が、オレを慰めた。
強く引き寄せられ、顔を胸に押し付けられる。
「・・・アンタとは別の形で会いたかったな」
不動がボソッと呟いた。
顔を上げようとすると、不動が一層強く抱き締めてくる。
「ここ数日、一緒にいて思ったんだ。アンタといるこの時間が、居心地がいいと」
照れたように不動が笑う気配がした。
「アイツの追手が来るかも知れない・・・、そんな緊迫した時に・・・、俺は幸せを感じた」
独白するような不動の言葉は、どこか嬉しそうで、どこか悲しそうな響きに聞こえる。
「この気持ちが何だか俺は知っている。・・・アンタは、分かるか」
分からない。
オレは頭を横に振った。
オレが不動に感じているのは、言い得ようのない不安と安堵。
傍にいる筈なのに、どこか遠くに感じる。
手を伸ばして触れようとしても、届かない。
どんなに近くにあっても、決して手に出来ない。
「恋・・・だ。しかも、つり橋の恋」
不動の言葉に、オレは顔を上げた。
今度は、不動もそれを拒むような真似はせず、オレの顔を見てくる。
「恋・・・だと?」
「そう。つり橋の・・・恋だ。高い場所、不安定な足場・・・。人間はつり橋の上で恐怖という感情を味わう。だが、そこを渡らなければいけない。でも、怖い。そんな時、橋の向こう側から好みの人間がやってきた。胸が恐怖でドキドキしている。だけど、人間とは不思議な生き物でな。その胸の高鳴りが”恋”だと勘違いするんだ」
錯覚の”恋”。
悲しそうに不動は言った。
「俺は、アンタが好きだ。でも、それは本当の恋じゃないかも知れない」
背中にまわされた不動の腕が微かに震える。
眉間に寄せられた皺が、悲しそうに見えた。
「何で・・・、こんな風に出会ったんだろう。もっと・・・、もっと違う場所で出会えていれば・・・」
「不動・・・?」
不動は顔を伏せて、悔しそうに呟く。
髪の毛が顔に掛かり影を落とした。
「アンタの心の中に、誰かがいるのも分かっている・・・。それでも・・・俺は・・・」
絞り出すように不動は声を出した。
震える指がオレの髪に絡み付く。
まるで壊れ物を扱うように不動の指が、優しくオレを包んだ。